日之影町は美しい自然と豊かな人情に恵まれた町です。わたしたちは日之影町の町民であることに誇りと責任を感じ、明るく健康で豊かな町をつくるため、ここに町民の誓いを定めます。
| 1. | わたしたちは、人の和を尊び礼儀を正しくします |
| 1. | わたしたちは、公徳心を養い環境を美しくします。 |
| 1. | わたしたちは、能率と効果を考え仕事に励みます。 |
| 1. | わたしたちは、知性を高めるため大いに勉強します。 |
| 1. | わたしたちは、保健と衛生に注意し健康を守ります。 |
町民憲章 昭和46年10月制定 日之影町
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町章(昭和30年12月制定)日之影のヒノをかたかなで図案化したもので、円満を意味し、中央の二線はカゲ(蔭ではなく影、つまり影は光によってうつる形のこと)いわゆるさんぜんと輝く日の光を表わし、全体として、町民の団結と、円満融和を図り、日之影町の限りなき発展を象徴したものである。 |
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町木(けやき)本町全域に自生するけやきが町の木。樹形の雄々しさ、四季おりおりの葉の変化は勇気と活力を与えてくれます。良質の建築材や、盆栽仕立てとして町民に親しまれ、数多い本町の樹木の中でも特に町のシンボルとなる木です。 (昭和43年10月制定) |
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町鳥(うぐいす)春から夏にかけての繁殖期に、美しい声を聞かせてくれます。 (昭和56年9月制定) |
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町花(つつじ)つつじを町の花としています。種類も多く低木ですがよく茂ります。開花期には、山や渓谷の景観を誇る本町に、いちはやく季節を告げてくれます。盆栽でも親しまれており、町民にやすらぎと活力を与えてくれる花です。 (昭和56年9月制定) |
本町は、平安時代の貞観元年から、安土桃山時代の天正19年まで732年の問は、高千穂郷の豪族三田井氏の領地であったが、天正15年豊臣秀吉の九州平定により、延岡城主高橋元種氏に三田井氏が滅ぼされ、その後西臼杵地方は、有馬、三浦、牧野、内藤各氏の支配下におかれた。
その間、舟の尾、宮水には代官所が設置されたが、明治2年に三田井に移されるまで本町は高千穂郷の中心地であった。
明治4年7月、廃藩置県により延岡県に属し、間もなく美々津県臼杵郡となり、その後宮崎県、鹿児島県と目まぐるしく変わり、明治16年5月に再び宮崎県となっている。
明治17年8月に、臼杵郡が東西に分けられ本町は西臼杵郡に属し、明治22年になって町村制が実施され、七折村役場を宮水に置き、岩井川、分城両村は合併して大人に役場を置いた。
昭和26年1月1日、七折村と岩井川村は統合合併して町制をしき、「日の影町」として、役場を旧岩井川村役場(現在地)に置き、昭和31年9月30日には、旧岩戸村の見立地区を編入合併し、同時に町名を「日之影町」と改めて現在に至っている。
鹿児島 → 300分
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